有限会社ライフマート様が2020年9月1日より

ピタットハウスニセコ倶知安店としてオープンしました。

おめでとうございます!

   

ピタットハウスニセコ倶知安店

有限会社ライフマート

倶知安町南3条西2丁目13番地 ホテル第一会館1F


 

「社会的距離」時代のスモールビジネス戦略

「社会的距離」時代が到来しました。 これまでスモールビジネスの常識と考えられてきたことも、大きく変わることが予想されます。 いっぽうで、そんな中でも変わらずに残っていくものもあるでしょう。

コロナ後の変化を予測するのは大変難しいことですが、今回は、これからの「社会的距離」時代のスモールビジネス戦略を

の3ステージに分けて、考えてみることにします。

ここで重要なことは、

だということです。


ステージ①警戒期

どのくらいの期間を「ステージ①」と呼ぶかは何とも言えませんが

このような特徴を持つ期間のことを「ステージ①」と呼ぶことにします。

緊急事態宣言が若干ゆるやかになった感自粛要請が出ていた頃の雰囲気が、ここでいう「ステージ①」にあたります。 この「ステージ①」の状況は長くは続かないでしょう。

なぜなら

このような動きになるだろうからです。 厳しい期間(ステージ①)は、おそらく短期間で終わるものと考えられます。

短期間とはどのくらいの期間なのか、これも予想ではありますが、緊急事態宣言が終わってから1~2ヶ月先までと考えられます。

ステージ①の戦略としては、まず、下記の3つのポイントを押さえる必要があるでしょう。


感染リスクを下げての販売方法

方法としては、

などが考えられます。

基本的にオンラインへのシフトには感染リスクはありませんし、ダイレクトメールの活用、宅配へのシフトも、感染リスクは非常に低いと言えるでしょう。

営業時間短縮は社会的距離の近い時間を減らすことになるため、感染リスクが下がります。 早朝販売や深夜販売は、人の少ない「時間的なニッチ市場」を狙うことと同じですが、これも社会的距離の近い時間を減らすことになります。

予約制にすることで

ということができるようになります。

とはいえ、営業時間短縮、早朝販売・深夜販売・予約制といった手法には、人による「接客」が介在します。 ここで社会的距離に配慮した環境づくりを徹底することで、顧客の共感を得られるようにしましょう。

社会的距離に配慮した環境づくりの例としては

などがありますね。

さらに、ひと工夫して、「会話が減るような商談方法」を考えてみるのも良いでしょう。 極端な話かもしれませんが、「筆談」を採用するのも、この時期なら好意的に受け止めてもらえる可能性があります。


ロイヤルカスタマーとのコミュニケーション

ステージ①では、新規の顧客開拓よりも、

に重点を置くことをお勧めします。 なぜなら、感染リスクを下げての販売方法はは顧客との接触時間が短くなる(あるいはなくなる)ため、新規顧客の獲得が難しくなるからです。

むしろ

に限定し、密なコミュニケーションを図るほうが効率的です。


オンラインでのマーケティング

ステージ①では常連客とのコミュニケーションが大事、と書きましたが、ここでいう「コミュニケーション」とは、おもにオンラインでのそれを意味します。 すなわち、メールやSNSを利用するマーケティングです。

メールやSNSを利用するマーケティングは今に始まったものではなく、珍しいものでもありませんが、重要なのは、 「これまであまりメールやSNSを利用するマーケティングをしてこなかった人にとって、いよいよ、やらざるを得ないときが到来した」 ということです。

これまで対面のトークで結果を出してきた人も、この御時世、オンラインでのコミュニケーションを頑張らなくてはなりません。 メールやSNSを利用するマーケティングでは、

がとても大切です。 「自粛ムードが去ったら店に行こう」と顧客に思ってもらえるような、見続けてもらうコンテンツをアップしていくことが重要なので、コンテンツ作りには手を抜けません。


応援型のマーケティング

この時期は、

「みんなで頑張ろう」 「飲食店を応援しよう」 「食品ロスをみんなで防ごう」

などのスローガンに関係した、「応援型のマーケティング」が向いています。

応援型のマーケティングは、

「とくに欲しくないけれど、人助けのために買う」 「買うことで、人とつながることができる」

という購買動機に訴えるものです。


ステージ②緩和期

次に来るのが「ステージ②」の時期です。 ステージ②とは、

という状況になり、人々の外出への警戒感が薄まる時期を指します。

おそらく政府や自治体からも

「感染予防対策をしたうえで、ビジネスを再開してもよい」

といったアナウンスが出るでしょう。 ステージ②は1年半程度、続くのではないかと思われます。

ウイルスが急激に消滅することは考えられませんので、消費者は外出したり飲食店に入ったりしながらも、この時期を警戒を緩めながら「おそるおそる」過ごすことになるでしょう。

「感染は避けたい」けれども「自粛にも我慢できない」。

相反する心理の葛藤が起き、最終的に「自粛に我慢できない」気持ちのほうが勝り、警戒のバーを下げる段階に突入していくものと思われます。


この時期にとるべきスタンス

「ステージ②」でも、引き続き

が求められます。 したがって前述の「ステージ①」の時期を通じ、この2つのスタンスが「身について」いるかどうかがこの時点での明暗を分けます。

ステージ①で何もせず、いきなりステージ②で「感染リスクを下げての販売方法」「オンラインでのマーケティング」を始めても、すぐには身につかないノウハウなので、加減が分からないまま、失敗を繰り返してしまうはずです。

しかし、ステージ①のフェーズで「感染リスクを下げての販売方法」「オンラインでのマーケティング」に「慣れた」個人事業主やビジネスオーナーは、「ステージ②」でも継続して戦っていけるはずです。


この時期の対策

前述のように、応援型のマーケティングは、

「とくに欲しくないけれど、人助けのために買う」 「買うことで、人とつながることができる」

という購買動機に訴えるものですが、ステージ②では、このやり方は通用しにくくなります。 なぜなら、応援する必要がだんだんなくなってくるからです。 したがって、ステージ②では、顧客の悩みを解決する商品やサービスに「戻す」必要があります。

また、ステージ①ではロイヤルカスタマーとのコミュニケーションが大事でしたが、ロイヤルカスタマーの購買意欲にも限界があります。 したがってステージ②では、新規顧客の獲得も重要となります。


ステージ③忘却期

最後は「ステージ③忘却期」です。 ワクチンの完成または集団免疫の獲得により、ウイルス禍が終息し、人々が自由に行動できるようになったあとの世界です。

「この日を境にウイルス禍が消失した」というような、明確な線引きはおそらくありません。

ステージ②の時期がだらだらと続き、そういえば誰も「コロナ」だの「ステイホーム」だの「社会的距離」だの言わなくなっており、感染のニュースも出なくなった…。

「喉元すぎれば熱さを忘れる」そういう終わり方、フェイドアウトをするのではないでしょうか。

気がついたらステージ③に移行していた、ということになるでしょう。 ただし、「社会的距離を保つ」という「癖」は、残っていくものと思われます。

さて、世間のムードは徐々に変化すると思われますが、需要の変化(回復)は急に起きる可能性があります(※)。 過去の例を振り返ると、14世紀にヨーロッパでペストが流行しましたが、その流行が終焉した後には需要が急回復したそうです。 したがって、今回も、「需要の急回復はあるかもしれない」と想定しておくことは、決して無駄ではないはずです。

せっかく需要が回復したのに、自分のビジネスだけがその恩恵を受けられない、という事態は避けたいものです。


機会損失に備える

といった「機会損失」にならないよう、手を打っておきましょう。

評判を守る

こうした「評判を落とす」結果にならないよう、準備しておきましょう。


戦力を維持する

ステージ①の時期に悲観的になり、スタッフを解雇するなどの戦力「縮小」をしてしまうと、あとでステージ③の時期に人手不足に直面することになります。 そうならないため、「縮小」には慎重になることを推奨します。

リーマンショックで多くの建設会社が人員削減をしましたが、数年後に建設需要が高まった際、それらの会社は需要に対応できませんでした。 いっぽう人員削減をせずに頑張った会社は、建設需要に対応することができました。 このことを教訓としたいと思います。


オンラインでのマーケティングを深める

需要の急回復を想定することは大切ですが、「注文」の多くはオンラインからやってくるでしょう。 ステージ①、②を通じ、人々の購買行動も(感染リスクを心配しなくてよい)オンラインへのシフトが進んでいるからです。

したがい、

という、「ビジネス格差」が生まれてくることが想像できます。

オンラインでのマーケティングは、「コミュニケーション技術」面でも、「IT技術」面でも、日に日に進歩しています。

あとから慌てて対策を立てても、先に進んでいる競合に追いつくのは容易ではありません。 その意味で、対策は早いうちに、できればステージ①にいる今のうちから立てておくことが大切なのです。

(※)欧州では、ロックダウンが緩まった都市で消費が急回復する現象もすでに起きているようです。


まとめ

ステージ①は警戒期、すなわち「感染に対する強い警戒心」、「減退している消費意欲」「行動自粛ムード」をキーワードとする時期です。 この時期のスモールビジネスのポイントは、

この4点です。

ステージ②は緩和期、すなわち人々の外出への警戒感が薄まる時期です。 この時期のスモールビジネスのポイントは、

この4点です。

ステージ③は忘却期、すなわち人々が自由に行動できるようになったあとの世界です。 この時期のスモールビジネスのポイントは、

です。

なお、「ステージ③」で需要の急回復に備え、ビジネスを続けていくためには、その前の「ステージ②」の戦略が不可欠であり、さらにそのためには、前段階の「ステージ①」の戦略が必要ということになります。


 

本当に外国人の流入は多いの!?調べた結果はコチラ!

皆さまご存知のように、北海道の地価の上昇は続いており、特に、ニセコ町や倶知安町を中心


とした海外からの観光客に人気のエリアでは、上昇トレンドが続いている状況です。とはいえ、実際に、本当にそうなのかを気にされる方も多いかと思われます。

今回は、【本当に外国人の流入は多いの!?調べた結果はコチラ!】を解説していきます。


観光入込客数

ニセコ町、倶知安町においては、近年、外国人の観光客数が増加傾向にあると耳にしますが、実際にはどれくらい増加しているのか、気になるところですよね。

今回は、平成30年度に絞り、ニセコ町、倶知安町の観光入込客数を調べましたので、以下でご紹介したいと思います。


平成30年度 ニセコ町

ニセコ町の観光入込客数において、4月から9月までの上期合計は71万7千人、10月から3月までの下期合計は95万3千人となっており、年間を通して約167万人がニセコ町を訪れた形となっています。

上期においては前年比95%、下期においては前年比104%となっており、年間では前年比99.9%と、昨年までの観光入込客数がほぼ維持されているといった状況となっています。


平成30年度  倶知安町

倶知安町の観光入込客数においては、4月から9月までの上期合計は71万6千人、10月から3月までの下期合計は93万人となっており、年間を通して約128万人が倶知安町を訪れた形となっています。

上期においては前年比103%、下期においては前年比101%となっており、年間では前年比102%と、昨年よりも観光入込客数は増加しており、緩やかな上昇トレンドが維持されている結果となっています。


訪日外国人宿泊延数

それでは、どの国からの流入が多いのかを、訪日外国人宿泊延数から見ていきたいと思います。

ニセコ町と倶知安町は近隣ではあるものの、訪日外国人を国別で見た場合に、明らかな違いが出ていました。


平成30年度 ニセコ町

平成30年度におけるニセコ町の外国人宿泊延数は、約21万7千人となりました。前年の21万8千人から、わずかに減少したものの、アジア地域からの宿泊者の増加が堅調です。

国別でみると、1位中国、2位香港、3位オーストラリア、4位台湾、5位韓国、という順になっています。


平成30年度  倶知安町

平成30年度における倶知安町の外国人宿泊延数は、約46万5千人となりました。アジア地域からの宿泊者の増加が堅調であり、アメリカやカナダといった北米地域からの宿泊者も目立った。

ちなみに、国別では、1位オーストラリア、2位香港、3位シンガポール、4位中国、5位アメリカ、という順となっています。

ニセコ町とのランキングの違いから、ニセコ町には中国資本がより多く投入されているかも知れないことが推察できます


岩内町の超積極戦略とは

ニセコ町、倶知安町に近い岩内町は、近隣でありながらも、2つの町と比較すると、観光客数は6分の1程度しかない状況です。

その状況を打開すべく、小樽商科大が提案したのが、以下の戦略になります。戦略を進めていくことで、ニセコ町、倶知安町に続き、岩内町においても、観光客数の増加が見込まれるのではないでしょうか。


ブルーオーシャン作戦

岩内町の観光における優位性に挙がった点としては、第一に観光集客力のありニセコ町との近い、という点。次に挙がった点としては、そのニセコ町にはない「海」という観光資源の2点です。

シーカヤックやウォーターポールといったマリンアクティビティを充実させることで、4月から9月の期間での観光客を増やすといった戦略です。

その戦略で増加した旅行消費額を計算したところ、約6億円となり、岩内町における第一次産業生産付加価値の7億円に迫るものとなっています。


トッテオキのニシン缶作戦

「トッテオキ食」とは、現在の非常食の概念にとらわれず、あらゆる状況に向けた長期保存食を意味する造語となります。岩内町の発達した加工技術を用いて、北海道産の高品質なニシンを缶詰として売り出していこうといったものとなります。

「食品ロス」を減らしていこうといった国内の流れや、「防災意識」の高まりといったトレンドを意識した戦略となっています。


ミズから変える地球のライフライン作戦

岩内町における海洋深層水を、世界の水不足問題解決のために事業化していこうといったものになります。人口減少下における水道管の再整備は非効率であるため、その分を宅配水事業にシフトしていこうといたものになります。

過疎化地域でのインフラとして使用するのはもちろんのこと、積み替え輸出によって、世界の水不足地域へ届けることをゴールとして設定しています。


まとめ

今回は、【本当に外国人の流入は多いの!?調べた結果はコチラ!】をご紹介しました。最後までお読みいただき、有難うございました!



山だけじゃない!リフレッシュできる4つの温泉はコレだ!

ニセコ・倶知安地区は、パウダースノーで有名な山々だけではなく、「五色温泉」「雪秩父」「まっかり温泉」「鯉川温泉」といった4つの温泉があることでも有名な地域です。羊蹄山(ようていざん)を眺めながら、心身ともにリフレッシュできると人気です。

今回は、「山だけじゃない!リフレッシュできる4つの温泉はコレだ!」について解説していきます。


羊蹄山とは

各温泉から眺めることが出来る「羊蹄山(ようていざん)」は、富士山に似た姿から蝦夷富士と呼ばれており、地域住民から親しまれている山です。北海道を代表する名山として日本百名山のひとつにも数えられています。 標高は1,898mで、面積は6,826haです。成層火山であり、頂上に周囲約2kmの楕円上の火口があります。7月上旬から8月上旬には標高1,700m以上で100種類以上の高山植物が花を咲かせ、約130種以上の野鳥が生息しているとも言われています。登山や自然観察などの野外レクレーションとして活用されています。


五色温泉

昭和5年(1930年)に国立公園内にオープンした温泉です。現在は1年中営業していますが、以前は豪雪により冬季は一時休業していたこともあったそうです。五色温泉の「五色」とは、硫黄の含有量が変化することで、湯の色が変わってくることに由来しているそうです。

登山後の汗を流すために訪れる方も多く、肌触りの柔らかな湯に身体も精神も癒されているようです。40度前後の湯加減で、長湯するのには最適な温度となっています。紅葉の山々を眺めたり、地元の素材を用いた季節の料理を楽しんだりと、毎年訪れるリピーターの方も多く、ストレス解消のためにゆっくりと過ごされているようです。

イワオヌプリとニセコアンヌプリの山間を走る、ドライブに最適なルートとなっており、新緑の初夏には、爽やかな高原の風の中を快適なドライブが楽しめるでしょう。また、紅葉の時期には素晴らしい景観を満喫できます


雪秩父

ニセコ温泉の源泉である「大湯沼」。1967年(昭和42年)に建設された雪秩父の温泉施設からは、新緑や紅葉、雪景色の「大湯沼」の絶景を見渡すことが出来ます。2014年(平成26年)に一時休館し、約1年を経て再び稼働。女性客を意識した造りにリニューアルされています。

硫黄の香りが強い温泉ですが、その香りにファンも多く、再稼働の際には、行列も出来たそうです。ログハウス風の建物内には、露天風呂が女性湯5つと、男性湯2つがあり、女性客を意識した改装となっています。冬期間も利用可能となっておりますので冬の山々を背にしながら、温泉を満喫する事も可能です。


まっかり温泉

公共浴場として地元民や旅行者に愛されている温泉です。大きくそびえ立つ羊蹄山を眺めながら、入浴を楽しむことが出来ます。さえぎるものがない雄大な景色は多くの温泉ファンを魅了しています。素朴な木のぬくもりを生かしたログハウス調の館内は、 非常にリラックスできる空間となっています。源泉かけ流しを堪能できるこだわりの湯です。 まっかり温泉では、毎年1月に、「スリッパ卓球大会」が開催されています。「スリッパ卓球」とは、卓球のラケットのかわりにスリッパを使って繰り広げられるユニークな卓球大会となっています。隣接する「ユリ園コテージ」に宿泊し、卓球大会を楽しむのも良いかも知れませんね。


鯉川温泉

鯉川温泉の旅館の歴史は古く、100年以上前の明治32年(1899年)に創業されています。昭和37年(1962年)に建設された建物には、昔懐かしいタオルやシャンプーの自動販売機が、味のある空間の演出に一役買っていましたが、残念ながら、2017年3月をもって、宿泊部門は休業となってしまいました。日帰り入浴は、現在も続いています。

温泉自体は、塩分や鉄分をバランスよく含んだものとなっており、かつては湯治場として栄えていました。身体の芯まで温まることが出来るため、疲れがよく取れるとの事。旅館周辺が木々に囲まれているため、露天風呂の近くまで自然を感じることが出来ると評判です。


まとめ

・「羊蹄山(ようていざん)」は、北海道を代表する名山として日本百名山のひとつ。 ・五色温泉の「五色」は、硫黄の含有量が変化することで、湯の色が変わってくることに由来している。

・雪秩父からは、新緑や紅葉、雪景色の「大湯沼」の絶景を見渡すことが出来る。

・まっかり温泉では、毎年1月に、「スリッパ卓球大会」が開催されている。

・「鯉川温泉」の日帰り入浴は、現在も継続中。

今回は、「山だけじゃない!リフレッシュできる4つの温泉はコレだ!」についてご紹介しました。 最後までお読みいただき、有難うございました!


 

スキー場が4つも!それぞれのスキー場を紹介!

ご存知かも知れませんが、倶知安・ニセコ地区には、4つの大きなスキー場があり、外国人観光客やスキー愛好家の方々で賑わっている状況です。

今回は倶知安・ニセコ地区の気候やスキーの歴史をふまえ、4つのスキー場についてご紹介したいと思います。

「スキー場が4つも!それぞれのスキー場を紹介!」について解説していきたいと思います。


倶知安・ニセコ地区の気候

倶知安・ニセコ地区は、昔から屈指の豪雪地帯として名高く、やや内陸性の気候を帯びています。積雪の多さは地形の影響が大きく、冬にシベリア大陸から吹き出す乾燥した空気が、日本海で水蒸気をたっぷり取り入れて筋状の雪雲となり、それらが合流して強くなり、ニセコ山系や羊蹄山にぶつかって凝結し、雪となっています。

近年では、雪が大変多いことから「特別豪雪地域」の指定を受けており、年最低気温の平均は、約-21℃と低く、年平均気温は7℃程度の環境となっています。降雪の激しい時期を除くと全体的には、夏涼しくさわやかで風が弱く、カラリとした状態が続きます。


倶知安・ニセコ地区のスキーの歴史

ニセコ町のスキーの歴史は明治40年頃、千葉清直医師が自作の一本杖スキーを子供たちに履かせ遊ばせたのが始まりと言われています。千葉医師はアメリカに留学しており、その時の経験を生かしてスキーを作ったと考えられています。 その後、レルヒ少佐にスキーの手ほどきを受けた本町の前田初太郎の活動によってスキーが次第に定着。大正初期から昭和初期にかけては、北大や小樽高商(現 小樽商大)のスキー部が合宿練習をし、これが刺激となりニセコにおいてスキーが一般化されたそうです。

1964(昭和39)年、当時の高橋清吉町長がサンモリッツへ出向いたことをきっかけに同年サンモリッツと姉妹都市提携しました。2000(平成12)年1月、サンモリッツのスキー学校でインストラクターを務めるダニエル・ルミナッティさんとダニエル・フォーネルさんがスポーツ(スキーインストラクター)交流でニセコひらふスキー場のスキー学校に勤務、町民や国内外から訪れた多くのスキーヤーらと交流を図りました。


倶知安・ニセコ地区の外国人の状況

倶知安・ニセコ地区における外国人の国・地域別の状況としては、オーストラリアとイギリスの2国で約半数を占め、中国、台湾、カナダ、ニュージーランドと続きます。在留資格別では、「特定活動(ワーキングホリデーなど)」が多く、次いで「技能」、「技術・人文・国際」と続きます。

ウインタースタッフとしてスキーの指導員を行う外国人が約800人おり、スキー場が閉じる5月下旬まで滞在しているケースが多く見られています。また、ワーキングホリデーの資格による滞在の場合の在留期間は最長1年半となっています。

年間延べ70万人近い外国人観光客が訪れる倶知安・ニセコ地区において、外国人スタッフの支えなしでは回らない状況です。


倶知安・ニセコ地区にある4つのスキー場

倶知安・ニセコ地区には4つのスキー場がありますが、それぞれのスキー場ごとに、レベルに合わせて楽しめるようになっています。


ニセコアンヌプリスキー場

ニセコアンヌプリスキー場は、ファミリー向けとして人気が高いスキー場です。山頂まで一気にゴンドラで登りきり、枝分かれするコースを滑走するのが人気のコースとなっています。全体的にコース幅が広いこともあって、小さなお子様やこれからデビューする方にとっても滑りやすいのが魅力となっています。


ニセコビレッジスキー場

ニセコビレッジスキー場は上級者向けのスキー場になります。 傾斜のきつい山肌に加え、他の山の中でも縦長のコースレイアウトが特徴となっています。最長滑走距離が約5kmと非常に長いコースがあるため、今までにない疾走感を味わうことができるでしょう。海外のスキーヤーで賑わっているエリアでもあります。


ニセコグランヒラフスキー場

倶知安・ニセコ地区の中でも、最大規模のスキー場となります。起伏に富んだ地形を活かしたコースが特徴で、雪質の高い「ニセコヒラフ」のゲレンデは、上級者から初心者まで北海道スキー・スノーボードを幅広く楽しめるコース設定になっています。特に山頂付近ではパウダースノーを楽しめます。


ニセコHANAZONOスキー場

ニセコHANAZONOスキー場は、倶知安・ニセコ地区で最も雪が積もりやすく、パウダースノーが長続きする条件が整っています。オープン期間は12月上旬から4月の上旬までとなっており、初心者から上級者までが存分に楽しめるコースが用意されています。 初めてスキーで訪れる方にお勧めのエリアとなります。


まとめ

・雪が大変多いことから「特別豪雪地域」の指定を受けており、年最低気温の平均は約-21℃と低く、年平均気温は7℃程度の環境である。

・ニセコ町のスキーの歴史は明治40年頃、千葉清直医師が自作の一本杖スキーを子供たちに履かせ遊ばせたのが始まり。

・ウインタースタッフとしてスキーの指導員を行う外国人が約800人おり、スキー場が閉じる5月下旬まで滞在している。

以上、簡単ではありますが、「スキー場が4つも!それぞれのスキー場を紹介!」をお伝えしました。 最後までお読みいただき、有難うございました!


 

知って良かった!北海道の地名の由来について

北海道には、読み方や発音の珍しい地名がいくつも見られます。倶知安やニセコをはじめ、長万部、銭函などです。今回は、そんな「北海道の地名の由来」について、解説していきたいと思います。地名の由来を知ることで、北海道がもっと身近になることでしょう。


倶知安(くっちゃん)

倶知安は「クッチャン」という発音にあてた漢字です。元々は、「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」の意味のアイヌ語の「クッシャニ」が由来とされています。自然美を誇る羊蹄山、ニセコ連峰のふもとにあり、きびしい風雪を克服し、後志地域の中心として発展してきました。


ニセコ

「ニセコ(ニセコアン)」とは、アイヌ語に由来します。「切り立った崖(の下を流れる川)」という意味です。明治以降、ニセコ町においても倭人が入植しアイヌ語の地名を文字化していきましたが、当時から「ニセコ」については漢字をあてても定着しないこともあって、カタカナでの表記が続いていました。

しかし、1901年に隣の真狩村(まっかりむら)から分村する際、「真狩太(まっかりぶと)」と呼ばれていた地域があったこともあり、その地名の一部をとり、「狩太村(かりぶと)」と呼ばれることになり、1964年までは、そのように呼ばれていました。


札幌(さっぽろ)

「サッポロ」という地名は、アイヌ語を語源としており、「サッ・ポロ・ペッ」といった発音がベースになっているという説が有力です。「サッ」は「乾いた」の意味で、「ポロ」は「大きい」、「ペッ」は「川」を意味します。札幌市内を流れる「豊平川」のことを指しています。人口は190万を超えており、全国の市の中でも、横浜市・大阪市・名古屋市に次いで4番目の規模を誇っています。


長万部(おしゃまんべ)

函館から札幌に向かうちょうど中間に位置する町です。アイヌ語で魚のカレイのことを「シャマンベ」と発音しますが、それにちなんだ地域となっています。

地域の伝承では、海で大きなカレイを釣り上げた神様が、これは神の魚なので山に祀るから、春になってその山の残雪がカレイの形になったらカレイ漁に出なさいと、漁のタイミングを教えたと言われています。


小樽(おたる)

もともとは「オタ・ル・ナイ」で「砂浜の中の川」という意味であり、小樽市と札幌市の境界を流れる「小樽内川」のことを指していたそうです。

「大日本地名辞書」には、「小樽港は…北方の風には、波浪高起し船舶の安泊に便ならざるも、西及南の風には、甚安穏にして、且冬季氷結せず、夏季海露少なく、実に北洋西岸に於ける唯一の良港なり、此港は、明治二十二年特別輸出港となり、同三十二年、一般開場港となる」と記されています。北洋西岸における良港、それが小樽です。


千歳(ちとせ)

かつて千歳一帯はアイヌ語で「大きなくぼみ」を意味する「シコツ」と呼ばれていました。当時、千歳は多くの鶴が空を舞い、川辺は鶴の生息地となっていたこともあり、「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなみ「千歳」と命名されました。現在、千歳市は、国立公園支笏湖などの雄大な自然に囲まれ、四季の移ろいを感じることができる住環境と、交通アクセスや生活利便性に優れた都市環境が調和する道央圏の中核都市となっています。


定山渓(じょうざんけい)

定山渓は、札幌市の南に位置する温泉街です。「定山(じょうざん)」という一人の僧が温泉を開いたことに由来した地名となっています。「定山(じょうざん)」は、17歳で寺を出て各地を修行して回ったらしいのですが、蝦夷地の松前に渡ってからは、小樽に赴いて、他の旅人に湯治を勧めたと言われています。


銭函(ぜにばこ)

地名の由来としては「ニシンの豊漁で、銭箱(ぜにばこ)が積まれていた」という説が有名ですが、諸説あって、未だ解明されていません。函館本線で札幌市から小樽市へと出たときに、最初に訪れる駅になります。銭函駅付近は海が間近まで迫っているため、夏季は海水浴客で賑わっています。


知床(しれとこ)

北海道東部、オホーツク海に長く突き出した半島を指します。知床(しれとこ)は、アイヌ語で「シレトク」(大地の行き詰まり)の発音がベースになっていると言われています。現在においても、原生的な自然が残っており、昭和39年(1964)には知床国立公園が出来、平成17年(2005)には世界自然遺産に登録されています。


鳥取(とっとり)

鳥取県からの移住者によって成立した地域となります。明治17年(1884)に「鳥取村」として発足し、昭和18年(1943)に「鳥取町」となりましたが、昭和24年(1949)釧路市に合併となっています。移住者ですが、明治17年から19年の3年間で約500人ほどだったようです。今でも当地には鳥取城と鳥取神社が建てられています。


月寒(つきさむ)

札幌市豊平区にある地名となります。以前は「つきさっぷ」と呼ばれていました。アイヌ語の「チ・キサ・ブ」で、「木をこすって火をつけるところ」という発音が起源になっているとも言われています。なお、漢字と発音を合わせるため、昭和19年(1944)に、豊平町議会は「つきさっぷ」を「つきさむ」に変更しています。ちなみに月寒(つきさむ)はジンギスカン発祥の地として知られおり、多くの観光客が訪れています。


まとめ

・「サッポロ」という地名は、アイヌ語を語源としており、「サッ・ポロ・ペッ」といった発音がベースになっているという説が有力。

・北海道東部、オホーツク海に長く突き出した半島を指します。知床(しれとこ)は、アイヌ語で「シレトク」(大地の行き詰まり)の発音がベースになっていると言われている。

・月寒(つきさむ)はジンギスカン発祥の地。

以上、「北海道の地名の由来」について、詳しく書いてみました。 最後までお読みいただき、有難うございました!


 

1年中寒いの?知っておきたい倶知安・ニセコ地区の気候

海外投資家を中心に注目が集まっている倶知安・ニセコ地区ですが、気候、四季はどうなっているのかを解説していきたいと思います。北海道は広大であるため、エリアによって気候も変わってきます。海流による影響が大きいのですが、北西部と南東部では、大きく異なります。また、山脈の影響もあり、札幌市内と倶知安・ニセコ地区でも積雪量の違いが出ています。

それでは、以下、倶知安・ニセコ地区の気候、四季について詳しく書いてみたいと思います。


倶知安・ニセコ地区の気候について

倶知安町は、日本海から25キロ程度内陸に位置しています。昔から屈指の豪雪地帯として名高く、やや内陸性の気候を帯びています。

冬にシベリア大陸から吹き出す乾燥した空気が、日本海で水蒸気をたっぷり取り入れて筋状の雪雲となります。それらがいくつか合流して強くなり、ニセコ連峰や羊蹄山にあたって凝結し、そして雪を降らせます。

雪を除くと全体的には、夏涼しくさわやかで風が弱く、カラリとした気候となっています


倶知安・ニセコ地区の四季について

倶知安・ニセコ地区の四季は、はっきりと分かれています。夏はさわやかな高原気候であり、冬は道内においても最もたくさんの雪が降るという特徴があります。

春(4~6月)は、さわやかな気候であり、新緑と花で大地が包まれます。気温は10℃前後。桜の開花は、5月上旬頃となります。 夏(7~8月)は、雨が少なく、平均気温が20℃前後まで上がります。7月上旬には高山植物が見頃を迎えます。

 秋(9~10月)は、ひと雨ごとに気温が下がり、氷点下になることもあります。冬に向かい、紅葉も始まります。 冬(11~3月)は気温が氷点下20℃前後まで下がることもあります。昭和20年の1月27日には、最低気温が氷点下37.5℃を記録しています。年最低気温の平均は、約-21℃と低く、年平均気温は7℃程度となっています。


降雪・積雪について

倶知安・ニセコ地区での平均積雪量は1.3mであり、平均降雪量は12.64mです。札幌市の約2.5倍となっています。近年においては、平成17年に最大積雪深約239cmを記録しています。また、雪が大変多いことからも、特別豪雪地域の指定を受けています

豪雪地域の年間平均降雪量ですが、1位が倶知安町、2位が新潟県十日町市、3位は山形県新庄市となっています。この上位3件は、カナダのケベック州や、スウェーデンのストックホルム市よりも多い降雪量となっています。


まとめ

・夏は涼しくさわやかで風が弱く、カラリとした気候。

・冬(11~3月)は気温が氷点下20℃前後まで下がることもある。

・平均降雪量は12.64mです。札幌市の約2.5倍。

以上、「倶知安・ニセコ地区の気候について」をお伝えしました。 最後までお読みいただき、有難うございました!


 

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